0
    これぞ中国映画だ

     

    公開中の中国映画『長江 愛の詩』を見て、久しぶりに「中国映画を見たー!」と思った。

     

    かつての中国映画には、まんま悠久の歴史を感じさせるようなスケールの大きな映画があったものだ。

     

    近年、急速な経済発展に伴い、ハリウッドへの資本参加など急速にハリウッド映画への傾斜を見せている中国映画であるが、やはり中国には中国らしい映画があってほしいと思うのは僕だけだろうか。

     

    コーラやハンバーガーを食べ、ジーパンに革ジャン、スニーカーを履いた中国人に、そんなことをいうのは酷かもしれないが、この映画のように7000kmを流れる長江を辿っていくというような映画は、やはり中国人にしか撮れないものだと思うのだが。

     

     

     

     

    物語はシンプルすぎるほどシンプルで、だいたい次のようなものだ。

     

    亡くなった父親の運搬船を受け継いだ男は、訳ありな積荷を運搬する為に長江をさか上る。

     

    その途中途中で、なぜか同じ美女と出会う。

     

    それはかつて父親が漢詩に書いたものである。

     

    そうして男は長江の源流を目指す。

     

     

     

    ただ、ストーリーはシンプルだが、表現的には曖昧で抽象的であり、西洋の合理主義ではなかなか割り切れないものである。

     

    なぜ謎の女が行く先々に現れるのか。

     

    そもそも彼女は何者なのか。

     

    男がつんだ罪にはなんだったのか。

     

    などなど、すべては解き明かされることはない。

     

    観客は男の運搬船と一緒に、ただただ薄暗くてだだっ広い長江を旅するしかない。

     

     

     

    それが心地よい。

     

    いわゆるロードムービー的ではあるが、全てのショットが息をのむほどに美しく、計算されている。

     

    撮影監督はリー・ピンビン。

     

    本作は彼のカメラなしでは到底成り立たなかっただろうと思えるほど、その映像は圧倒的である。

     

    セリフは少なめに、カメラが全てを物語る。

     

    こういう映画が作れるのは、やはり中国人だけだろう。

     

    上海や北京の街を暴れまわるロボットもいいが、中国には圧倒的な風景と自然、そしてそこで生きて来た人間がいる。

     

    島国日本では逆立ちしても作れない映画である。

     

     

    続きを読む >>
    | 座付き作家 | 映画の感想 | 07:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
    0
      ぼくの名前はズッキーニ

       

      1コマ1コマ動かしては撮影していくストップモーション・アニメ。

       

      つくづく大変な作業だと思うのだが、なぜか続々と新作が公開されている。

       

      昨年の「KUBO 二本の弦の秘密」はビジュアル面で革新的な大傑作であったが、また一本、新作が公開されている。

       

       

       

      『ぼくの名前はズッキーニ』は、ビジュアルというよりもストーリーで評価されるストップモーション・アニメだ。

       

      父親が若い女を作って家を出て以来、酒浸りとなってしまった母親を事故で殺してしまった少年”ズッキーニ"。

       

      彼のような子どもが集められて暮らす孤児院での新しい生活が始まる。

       

      そこには色々な子どもがおり、ズッキーニは彼らとの共同生活を通してやがて自分を取り戻していく。

       

       

       

      かなり癖のある人形造形と、「ズッキーニ」という訳のわからない邦題もあって、ちょっと手が出しずらい作品である。

       

      例えていうなら「嫌いな絵柄のマンガ」のようなもの。

       

      食わず嫌いで終わってしまいがちな作品とも言えよう。

       

      ところが、この手に往往にしてあるのだが、「実は素晴らしい」内容なのだ。

       

      ちょっと誤解を招きそうな言い方になるのだが、名作と呼ばれる『あの日僕たちはその花の名前を知らない』や『魔法少女マドカ☆マギカ』がダークなストーリーを萌えアニメでカモフラージュしたのに似ているように感じる。

       

      実際、本作の場合、ジョニー・デップがしていそうな(?)目の周りの隈取りが特徴的な人形は好き嫌いが別れるところだろう。

       

      実写映画においては俳優の好き嫌いが出るように、アニメにおいては造形の好き嫌いを避けては始まらない。

       

      だからこそ、僕がこのブログでどれだけ褒めようとも、「この造形が嫌いな人」は見に行かないだろうと思う。

       

       

       

      そもそも本作はアニメにするべき作品だったのか、という疑問も浮かんでくる。

       

      仮に、この脚本を実写映画として撮れば、なかなかの映画になっただろうと思える。

       

      特に内容にファンタジー要素があるわけでもないし、実際にはかなり現実的なストーリーである。

       

      しかし、監督はアニメにすることを選んだ。

       

      しかも手間がかかるストップモーション・アニメに。

       

      実際のところ、最初の5分間はこの人形の造形に慣れる時間となる。

       

      僕自身、かなり半信半疑で椅子に座っていたのだから。

       

      ところが思った以上に細かい動き(アニメーション)に、まず安心して、10分も立つ頃には造形への違和感は消えてしまっている。

       

      むしろ、ストップモーション・アニメにしたことで、劇中に度々登場するズッキーニ少年のクレヨン画そのものの世界観に統一されている心地よさも感じる。

       

      これはこれであり。

       

      ストップモーション・アニメで作ったことで、完成を見たという側面も否定できない。

       

      仮に実写映画にしようと思った場合、果たしてお金が集まったかどうか。

       

      両親のことで心を病んだ少年少女たちが、希望を持つ物語というだけでは、なかなか製作も回収の目処も立ちにくいだろう。

       

       

       

      よくある動物が喋ったりするのがストップモーション・アニメと思いがちだが、あえてこういうリアルなストーリーをアニメで作る意義は確かにあるのかもしれない。

       

      ただし、冷静に振り返ってみれば、本作を成功作に押し上げたものは、実は人形アニメの部分ではなく、実際の俳優や子タレたちによる吹き替えなのだ。

       

      いずれにせよ、ストップモーション・アニメの新しい可能性を示した一本であることは間違いない。

       

       

       

       

       

      続きを読む >>
      | 座付き作家 | 映画の感想 | 06:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
      0
        ドリス・ヴァン・ノッテン

         

        80年代から90年代にかけて、ファッションが花盛りだった時代があった。

         

        その頃のお給料に占める洋服の割合と今とを比べれば、おそらく10倍以上の差があるに違いない。

         

        あの頃、新しい洋服を買うのは本当に楽しかった。

         

         

         

        時代が変わって、今、ファッションは冬の時代と言われる。

         

        何よりアパレルの凋落ぶりが大きい。

         

        コムサ・デ・モード

         

        ニコル

         

        メンズビギにメンズバツ

         

        懐かしい名前ばかりだが、長年買い込んだそれらの洋服を昨年末にドカンと捨てた。

         

        その数、45リットルゴミ袋で実に4袋。

         

        よくも長年、着もしないセーターやらシャツやらパンツやらを大切に保存していたものだ。

         

         

         

        ファッションが振るわないからだろうか、近年やたらとファッションデザイナーの映画やドキュメンタリーが多い。

         

        ヂィオール、サンローラン、ココ・シャネルときてドリス・ヴァン・ノッテンである。

         

        いわゆるメゾンと呼ばれるファッションブランドは、AWとSSのコレクションを発するのが慣例だ。

         

        本作では、ドリス・ヴァン・ノッテンのレディースとメンズそれぞれのコレクションの様子が紹介されるが、ま、それらは他のメゾンと大して違いがあるわけではない。

         

        ディオールのような完璧な縫子がいるわけではなく、シャネルのような革新的デザイナーでもないドリス・ヴァン・ノッテンの真髄は、手を抜かない工程にあるようだ。

         

        そうした例としてのインドの刺繍工場が紹介される。

         

        インドの職人がせっせと刺繍したシャツが、一枚ン万円という値段がつけられて販売されるわけだ。

         

         

         

        これまでドリス・ヴァン・ノッテンの洋服を購入したことがない僕にとっては、本作で垣間見られる全てのファッションが単なる事象としてしか捉えられなかったことに、僕自身びっくりした。

         

        僕自身にとってファッションに熱をあげた時代を夏とすれば、ファッションに関心を失った今こそ、冬の時代なのだと実感したのだった。

         

         

        続きを読む >>
        | 座付き作家 | 映画の感想 | 11:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - |
        CALENDAR
        SMTWTFS
            123
        45678910
        11121314151617
        18192021222324
        25262728   
        << February 2018 >>
        PR
        SELECTED ENTRIES
        CATEGORIES
        ARCHIVES
        RECENT COMMENTS
        RECENT TRACKBACK
        【お知らせ】けんぞー武者修行#1「ノート」公演
        前作「南瓜」から1年半。今回から"けんぞー武者修行"と銘打って、役者・建蔵が可能性を広げるべく挑みます。 第一弾はなんとピアニスト糸井恵理子さんをお迎えして、フランツ・リスト他の演奏とのコラボレーション。 どんな舞台になりますか、乞ご期待。 「ノート」公演概要 2014年4月5日(土)14時/18時 開場は30分前 両国門天ホール 前売り2,800円(税込)当日3,000円(税込) 出演:建蔵 糸井恵理子 作・演出 平岩モトイ ご予約:amd.ara@ezweb.ne.jp (折り返し確認メールが行きます)
        MOBILE
        qrcode
        LINKS
        PROFILE
        このページの先頭へ